永井均「存在と時間 哲学探究1」の要約と感想

このブログで私は、永井均という哲学者が書いた「存在と時間 哲学探究1」(文藝春秋)という本について、要約や感想を書いています。私は、哲学とか一度も勉強したことがなくて、哲学は全くのど素人なのですが、この本がすっごく大好きで、何回も繰り返し読みました。そして、ぜひたくさんの人に読んでもらいたいな、と思って、このブログを書きました。人生においてすっごく大事なことがぎっしり詰まった本だと思います。特に、悩みや苦しみを抱えている人が読むと、その悩みや苦しみが消えてしまうかもしれません。

中島義道氏の問題の捉え方

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中島義道氏の問題の捉え方

【要約】

1~7段落(34頁)

中島氏は、「なぜ見えるのか」と「なぜこの身体なのか」という2つの問題を合体させた問いを永井の問いとみなしたが、この2つは別の問いであり、これを区別することは重要である。永井の問いは後者だが、この心でも同じなので、この身体も要らず、必要なのは「この」のみである。

 

8~14段落(36頁)

問題は精神と身体の対比ではなく、精神や「殴られると現実に痛い・・」等を含む全性質と、「これ」性(無内包の現実性)の対比である。よって、これらの性質が丸ごと今、私から安倍首相に移ったとしても何も変化しない。「現実に目から世界が見えており・・」等の性質さえも移行していない。その性質は安倍首相がもともと持っていたからである。

 

15~18段落(41頁)

この移動は為されてしまえば無かったことになる。それでも移動の実在と変化の時点を想定すべきであるなら、世界の重層化を想定せざるを得ない。つまりこの変化は一本の時系列の内部では起こりえない変化であり、この移動は一つの世界の内部では起こりえない移動なのだ。ここで論じられている問題は、心と物のあいだの問題ではなく、物自体と現象のあいだの問題なのであり、〈私〉はいわば物自体なのだ。

 

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【感想】

1.世界の重層化。ひとつの世界の内部では起こりえない移動。それはそのとおりだろうが、では、複数の世界の間では移動は起こりえるのか。たとえ誰にも分からないとしても。

移動できないのか、移動の事実が消えるのか。

永井さんはもちろん、それは同じことだと言うのだろうけど。

「移動する」ということが、何が起こったことなのか我々に分からない以上、神にも実現できず、そのレベルで、移動はできない、と言うのだろうけれど。

でも・・・

と言いたくなる人はいるのではないでしょうか。

これは、(ここだけではありませんが)「転校生とブラックジャック」の、文庫版132頁のEの発言~137頁のCの発言あたりで詳しく議論されていますので、興味のある方はぜひお読みください(「哲おじさんと学くん」61話~63話あたりでも)。

 

2.ところで、安倍になれないことを検証するのに、私は、まず安倍になったことの想像を試み、想像できない(しきれない)ことに思い至り、安倍になれない、と結論しました。だとすると、なれないから想像できないのか、想像できないからなれないと「される」のか、あるいはそれは同じことなのか、という問題があるような気がします。