永井均「存在と時間 哲学探究1」の要約と感想

このブログで私は、永井均という哲学者が書いた「存在と時間 哲学探究1」(文藝春秋)という本について、要約や感想を書いています。私は、哲学とか一度も勉強したことがなくて、哲学は全くのど素人なのですが、この本がすっごく大好きで、何回も繰り返し読みました。そして、ぜひたくさんの人に読んでもらいたいな、と思って、このブログを書きました。人生においてすっごく大事なことがぎっしり詰まった本だと思います。特に、悩みや苦しみを抱えている人が読むと、その悩みや苦しみが消えてしまうかもしれません。

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第9章 哲学とは何か――「可能性」のタウマゼイン語法――

 

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1~7段落(143頁)

この世界でふつうに成り立っている事実的な法則(いわゆる自然法則に限らない)に依拠して語られる可能・不可能と、使われている概念(あるいは概念が指す事態)の本質に反しない限り可能(反すれば不可能)と語られる可能・不可能があり、ここに示される思考法の落差こそが哲学を哲学たらしめている(後者の使用法が哲学の本質を形成している)。たとえば、脳科学や心理学において、記憶の探究は、記憶という概念を前提にして(記憶の本質(記憶とはそもそも何であるか)が前提されたうえで)なされるが、実は、記憶の本質について探究することは可能であり、そのような、自明すぎてむしろ明らかに見ることができないことをあえて明るみに出してみることこそが、固有名としての哲学古代ギリシャの伝統を引き継ぐ哲学)の固有の課題であった。