永井均「存在と時間 哲学探究1」の要約と感想

このブログで私は、永井均という哲学者が書いた「存在と時間 哲学探究1」(文藝春秋)という本について、要約や感想を書いています。私は、哲学とか一度も勉強したことがなくて、哲学は全くのど素人なのですが、この本がすっごく大好きで、何回も繰り返し読みました。そして、ぜひたくさんの人に読んでもらいたいな、と思って、このブログを書きました。人生においてすっごく大事なことがぎっしり詰まった本だと思います。特に、悩みや苦しみを抱えている人が読むと、その悩みや苦しみが消えてしまうかもしれません。

むきだしの〈今〉は移動しえない

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むきだしの〈今〉は移動しえない

【要約】

1~7段落(61頁)

〈私〉が安倍になっても何も変わらないように、〈今〉が20年前になっても何も変わらない。〈私〉の場合と全く同様に〈今〉もむき出しのそれがただ単に移動することはできない。〈私〉も〈今〉も実体としては存在しない。〈私〉も〈今〉も、何の理由も原因もなしにただ忽然と存在する無根拠な存在者であるにもかかわらず、いったん存在してしまうとその動き方や変わり方には厳しい内的制限が課せられる。

 

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【感想】

安倍になれない話は、「なってもなったという事実が必然的に消滅するからなれない」のではなかったのか、と思われるかもしれませんが、同一の世界内的には、「変わり方には厳しい内的制限が課せられるからなれない」と表現され、複数世界を見通して言って良ければ、「なってもなったという事実が存在する世界がないからなれない」と表現される、と理解すればよいのではないでしょうか。