永井均「存在と時間 哲学探究1」の要約と感想

このブログで私は、永井均という哲学者が書いた「存在と時間 哲学探究1」(文藝春秋)という本について、要約や感想を書いています。私は、哲学とか一度も勉強したことがなくて、哲学は全くのど素人なのですが、この本がすっごく大好きで、何回も繰り返し読みました。そして、ぜひたくさんの人に読んでもらいたいな、と思って、このブログを書きました。人生においてすっごく大事なことがぎっしり詰まった本だと思います。特に、悩みや苦しみを抱えている人が読むと、その悩みや苦しみが消えてしまうかもしれません。

むきだしの〈今〉は語りうるか

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むきだしの〈今〉は語りうるか

【要約】

1~2段落(67頁)

「私」という語はその「私」がだれであるのかが分からなければ機能しないが、「今」という語はその「今」がいつであるか分からなくとも、ともあれ今であるということだけで働くことができる。

 

3~4段落(68頁)

したがって、もしデカルト的懐疑のもはや疑いえない到達点が「私は存在する」ではなく「今は存在する」だったとしたら、周囲のみんなに言って共有されたはずであるが(同じ今にいるから)、この真理も他時点に伝わった時には「いつであれ必ず、今の存在こそが疑いえない絶対確実な真理である」という主張に変質する(「デカルト的現在」)。〈私〉や〈今〉の「デカルト的自我」や「デカルト的現在」への変質は不可避である。