むきだしの〈今〉は語りうるか
【要約】
1~2段落(67頁)
「私」という語はその「私」がだれであるのかが分からなければ機能しないが、「今」という語はその「今」がいつであるか分からなくとも、ともあれ今であるということだけで働くことができる。
3~4段落(68頁)
したがって、もしデカルト的懐疑のもはや疑いえない到達点が「私は存在する」ではなく「今は存在する」だったとしたら、周囲のみんなに言って共有されたはずであるが(同じ今にいるから)、この真理も他時点に伝わった時には「いつであれ必ず、今の存在こそが疑いえない絶対確実な真理である」という主張に変質する(「デカルト的現在」)。〈私〉や〈今〉の「デカルト的自我」や「デカルト的現在」への変質は不可避である。