第13章 マクタガート化されたデカルトをへて認識論的問題設定を退け、「正数と負数」と「加法と減法」の対比によって時間を考える
(無題)
【要約】
1~5段落(228頁)
マクタガートの示す「矛盾」には、ダメットの解釈と私(永井)の解釈がある。ダメットは、どの出来事にもあてはまるはずの九個の述語のうち、たとえば「「未来において過去」と「未来において未来」」の組み合わせのような両立不可能な組み合わせが存在することを矛盾だと解釈し、私は、現在の出来事は「現在において現在」「過去において未来」「未来において過去」でしかないはずなのに、それ以外の述語があることが矛盾であると解釈した。これは、ダメットが、ある出来事が仮に「未来において過去」であるならば「未来において未来」ではありえない、という発想をしたのに対し、私は、現に「現在の出来事」なのだから「過去において現在」ではありえない、という発想をした、という違いであって本質的な違いではない。いずれも「第一段階で成立した矛盾がどの段階でも成立する」というマクタガートの本来の主張から派生する矛盾である。
6~7段落(231頁)
ただし、私がそう解釈したのは、マクタガートは、ここでのみ、「出来事M」ではなく「この論文の執筆」という、現在進行中の出来事を例として挙げているからという根拠が存在し、これには重要な意味があるかもしれない。その現在進行中の出来事は、実は端的に過去であるからである。その出来事は、ほんとうに、現在でも過去でも未来でもあるのだ!ここに驚き(タウマゼイン)を感じなければマクタガートの提起した問題の意味はわからないだろう。時間ということの意味が分かる以上、1908年の論文執筆という出来事は、1908年の視点からも、2015年の視点からも、1801年の視点からも、いっぺんに見渡すことができなければならない。2015年の私が、1908年頃の彼の論文執筆を「現実に現在である」とみなして彼の真意を説明しようとするときにさえ、私は、このような俯瞰的視点を前提にして、相対化されたA系列を使って、相対化される前の端的なA系列の存在を強調している。これは、彼の提示した問題の真の意味を説明しようとするときにさえその問題そのものに絡めとられざるをえないことを意味している。