永井均「存在と時間 哲学探究1」の要約と感想

このブログで私は、永井均という哲学者が書いた「存在と時間 哲学探究1」(文藝春秋)という本について、要約や感想を書いています。私は、哲学とか一度も勉強したことがなくて、哲学は全くのど素人なのですが、この本がすっごく大好きで、何回も繰り返し読みました。そして、ぜひたくさんの人に読んでもらいたいな、と思って、このブログを書きました。人生においてすっごく大事なことがぎっしり詰まった本だと思います。特に、悩みや苦しみを抱えている人が読むと、その悩みや苦しみが消えてしまうかもしれません。

動く現在とこの現在

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動く現在とこの現在

【要約】

1段落(247頁)

もし現在が動くのなら、187頁のA系列の図(現在が2015年3月末頃を指している図)において、現在はどこなのか!?この図の「現在」の軌道のうちの一点だけが現実の現在であるはずだが、そのことはこの図ではあらわせない。逆にこの図がそのことをあらわせているのなら、その現在は、この図の趣旨に反して、動かない。つまり現在が動くことはありえない。これが相矛盾する二つの驚き(タウマゼイン)の源泉であり、それがわれわれのこの世界の現実でもある。

 

2段落(248頁)

同じことを、その章での表現によって、もういちど強調しておきたい。「今見る(今の針の位置だけが端的に見え、それ以外は端的に見えない)という事実が過去・現在・未来の領域区分を作り出すのだとすれば、動き(変化)は見えないはずではないか。逆に、動き(変化)という事実――あるいは領域分割そのもの――をその外から見ることができているなら、この端的な領域分割の内側に入って今見るということはできないはずではないか。」(197頁)

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【感想】

無内包の〈今〉を、現実的(リアル)な(=内容的規程(性)を持った=事象内容的な=有内包な)ものと捉えて(表象して)しまえば(たとえば「今が動く」「今という場に出来事が現れては消える」など)、必ず今は二重化されてしまう、ということが言われています(「哲学探究2」221頁末尾行~224頁、239頁参照)。