永井均「存在と時間 哲学探究1」の要約と感想

このブログで私は、永井均という哲学者が書いた「存在と時間 哲学探究1」(文藝春秋)という本について、要約や感想を書いています。私は、哲学とか一度も勉強したことがなくて、哲学は全くのど素人なのですが、この本がすっごく大好きで、何回も繰り返し読みました。そして、ぜひたくさんの人に読んでもらいたいな、と思って、このブログを書きました。人生においてすっごく大事なことがぎっしり詰まった本だと思います。特に、悩みや苦しみを抱えている人が読むと、その悩みや苦しみが消えてしまうかもしれません。

動く今はB系列である

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動く今はB系列である

【要約】

1段落(270頁)

A系列を構成する二種の現在(今)のうち、動くほうは実はB系列である。

 

2段落(270頁)

どんな出来事も、まずは未来の出来事であり、次に現在の出来事となり、最後に過去の出来事となる。これがA系列を特徴づけるA変化といわれるものであり、この経過は、他の出来事や時間との対比なしに、単独で起こる(第一の基準)。これに対し、B系列は二つの出来事(あるいは時点)のあいだの関係であり、その関係が時間の経過によって変化することはない。

 

3段落(270頁)

坂下門外の変は、最初は未来の出来事であり、次に現在であり、最後に過去となった(A変化)。坂下門外の変はまた、桜田門外の変より後であり、生麦事件より前である(B関係)。

 

4段落(271頁)

B関係のほうは、現在(今)が桜田門外の変の時点から坂下門外の変の時点を経て生麦事件の時点に動いた(A変化)、という動的事実の記録以外の何ものでもない。これが変化しないのは、そういうA変化を被ったという過去の事実の記録だからにすぎない。

 

5段落(271頁)

同じことだが、A変化のほうは、坂下門外の変という出来事が(桜田門外の変のような)それより前の時点から見れば未来であり(生麦事件のような)それより後の時点から見れば過去である、ということ以外のことは言っていないから、すなわちB関係である。

 

6段落(272頁)

「最初は・・、次に・・、最後に・・」という変化の構造は不変の関係構造だから、端的な現在を源泉とする端的性とは無関係である。関係構造は実在するが、端的な現在は実在しない。

 

7段落(273頁)

A系列という捉え方は、「変化の関係構造」と、「端的な現在」とつながる「現実の動く現在」と二重性を免れることができない。現実の動く現在(現実のA系列)というものが理解できるためには、可能な動く現在(可能なA系列)というものが理解できていなければならず、まさにそのことがB系列という捉え方の根拠になっている。

 

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【感想】

A系列=A事実+(一般的)A変化

   =A事実+B関係

   =A事実+B系列

※A事実=端的にそれしか存在しないという事実(「時間の非実在性」(講談社学術文庫)257頁)

※A変化はB関係の別の仕方による記述(本書277頁)

※A変化とB関係とは、同じ事態の別の描写(本書278頁)

※B系列とはA変化からA事実(現実的な中心性)に由来する中心性という概念をも取り除いて、その動き(変化)を一般化・遍在化させる(それによって動きを無くす)ことによって成立するものである。(哲学探究2・247頁末尾)

ただし単純にA変化=B関係ではないことは、276頁「現実主義と可能主義」を参照されたい。