永井均「存在と時間 哲学探究1」の要約と感想

このブログで私は、永井均という哲学者が書いた「存在と時間 哲学探究1」(文藝春秋)という本について、要約や感想を書いています。私は、哲学とか一度も勉強したことがなくて、哲学は全くのど素人なのですが、この本がすっごく大好きで、何回も繰り返し読みました。そして、ぜひたくさんの人に読んでもらいたいな、と思って、このブログを書きました。人生においてすっごく大事なことがぎっしり詰まった本だと思います。特に、悩みや苦しみを抱えている人が読むと、その悩みや苦しみが消えてしまうかもしれません。

(無題)

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第18章 ただ不思議なことがありありと与えられているだけ


(無題)
【要約】
1~8段落(322頁)
これだけ論じてきたが、端的な今(現在)とは何なのかは何も明らかになっていない。私の今(現在)にかんする議論は、物理学とも神経生理学とも認知心理学とも・・・全くつながっていない。これらの科学にとっては端的な現在などというものは存在しないからである。〈私〉のほうも、それがどんな原因から生じたのかはもちろん、それが何であるのかがほんの少しもわからない。その存在の謎は、進化生物学の知見とも、脳科学の知見とも、精神分析学の知見とも・・・まったくつながっていないし、つながる可能性もまったくない。

 

9段落(324頁)
何であるか少しも分からないのは、問題が本質的に類型化を拒絶しているからである。どんな原因から生じたか分からないのは、それゆえに本質的に因果的把握が不可能だからである。しかし、そういう現実があり、じつはそれがすべての出発点になっている。ここでなされたのは、類型化の拒絶のされ方の類型化の試みにすぎない。

 

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【感想】

SF的妄想ですが、完全な無原点的世界から、順番に、現実性(可能性の原点)が原点の無い時間を産み出し、今(時間の原点)が原点の無い空間を産み出し、私(空間の原点)がこの世界を産み出した・・などと考えてしまいました(笑)。